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第6話 久我龍慈という男

last update تاريخ النشر: 2026-04-30 06:05:18

 LHR後の時間は、校内や部活の見学にあてられた。基本的に自由行動だ。

「部活どこにする?」「もう帰ろうぜ」といった声を背中に、私は教室を出た。

 1年生の教室は4階だ。そこから、職員室等がある1階へと下りていく。

 どうやら在校生は短縮日程での登校日となっていたらしい。思ったよりも大勢の生徒たちとすれ違った。

 3年生の教室が並ぶ2階に下りたときである。

「久我君、来てたんだ! ちょっと意外」

「ねえねえ。うちの部まで来てよ。久我君がいれば、新入生ちゃんたちへのいいアピールになるからさ」

「ちょっと。久我センパイを客寄せパンダにしないでください! センパイはこれからあたしらとカラオケに行くんですから!」

 女子生徒たちのかしましい声が聞こえてきた。

(久我君……ってことは、もしかして)

 私は廊下を覗き込む。

 3年生の教室の前に、5、6人ほどの女子が集まっていた。

 その中心に、ひとりの男子生徒が立っている。

 180センチを超える長身だから、女子に囲まれていても横顔が見えるし、よく目立つ。

 さらさらの髪に、にきびひとつない肌。

 長い睫に、すらりと通った鼻梁、そしてちょっと艶めかしい唇。

 きっちりと制服を着こなした身体は細身で、ただそこに立っているだけでも絵になる。

·····カッコいいわね)

 私が感心していると、彼がふとこちらを向いた。

 それまで物憂げというか、つまらなそうにしていた表情が、パッと明るくなる。

「井伊サン!」

「こんにちは、龍慈りゅうじ君」

 私はにっこり笑って挨拶をした。

 彼の名前は久我龍慈。

 私の友人であり協力者、久我朝菜の弟だ。今年で18歳になる高校3年生である。

 文武両道で、一時期はモデルもやっていたほどの、文句なしのイケメンだ。

 予想はしていたが、やはり学校では相当モテているらしい。

 女子生徒たちや、彼を遠巻きに見るクラスメイトの反応を見る限り、龍慈君が正真正銘、学園カーストの頂点に君臨しているのは間違いない。

 もっとも、前に夕食をともにしたときは「女子たちが鬱陶しい」とぼやいていたが。

 龍慈君は女子生徒たちを振り切り、こちらに駆け寄ってきた。

「もう説明会終わったんだ?」

「うん。まあ2度目だし、特に問題ないわ。龍慈君は?」

「井伊サン待ってた。したら、クラスの女子やら後輩やらにつかまった。井伊サンが来てくれて助かったよ」

 龍慈君が笑う。一部では『氷の貴公子』と呼ばれるクールな表情が、近所の悪ガキ君のように屈託のないものになる。

 彼を小学生のころから知る私には、見慣れた顔である。

 私は苦笑しながら、小声で言った。

「龍慈君、後ろで女の子たちが戸惑ってるわよ。フォローしてきなさい」

「いや、だけどさ」

「ここで待ってるから」

 柱に背中を預けていると、龍慈君は「井伊サンが言うなら……」と踵を返した。取り巻きの女子生徒たちに簡単に事情を話している。

 昔から、根は素直な子なのだ。

 取り巻き女子たちは怪訝そうに私を見たが、やがて解散した。どこかショックを受けた顔をする子もいた。

「お待たせ」と戻ってきた龍慈君に、私は言った。

「女の子を傷つけちゃ駄目でしょ」

「フツーに説明しただけだし」

「もう」

 苦笑しながら私が歩き出すと、当然のように龍慈君もついてきた。私は言った。

「ねえ龍慈君。その『井伊サン』って呼び方、学校ではやめない?」

「は? どうして」

「私は1年生、龍慈君は3年生よ。君みたいな人気者が、新入生相手に『さん』付けしてたら変な目で見られるんじゃない?」

「俺は気にしない……んだけど、待った。もしかして、学校じゃ呼び捨てにしてもいいってこと!?」

「そうねえ。その方が先輩後輩らしいかな」

「じゃあ、『こより』! 一緒に帰ろう!」

「何か言いましたか、『久我先輩』?」

「何でもありません。調子こいてすんませんでした」

 あからさまにしょぼんとした様子でうなだれる龍慈君。相変わらず可愛い。

 私にとって龍慈君は可愛い弟分であり、朝菜と並ぶ信頼できる味方であり、そして、私が立ち直った後の明るい人間関係を象徴するひとりでもある。

 それくらい、大事な人間だ。

 朝菜は「こき使ってやってくれ」と言っていたが、いざとなったら私が彼を守らなければ。私は龍慈君にとって、もうひとりの『お姉さん』なのだから。

「でもまあ、そうね。考えてみれば、生徒同士で君付け、さん付けは別に不自然じゃないわよね。じゃあ、今までどおりにしましょうか。小学生からの幼馴染だって言えば、間違いではないし。ね、龍慈君?」

「せめてこよりサンって呼びたかった」

「それだと朝菜が怒るかもね」

「くっ、それはマジでありそう。姉貴め……!」

 龍慈君の悔しそうな声を背中に聞きながら、私は階段を下りていく。

「なあ、井伊サン。これからどこ行くの? 部活見学とか?」

「ううん。それより大事な用事」

 自然と背筋が伸びた。

「校長先生……楓先生に、会いに行くの」

◆◆◆

 ああ、変わってないなと俺は思った。

 井伊サンは、ずっと校長に恩返しがしたいと言っていた。

 そのために黎明館学園に入り直したってこともだ。

 普通に考えて、ありえないだろう。

 だってさ、井伊サンと新入生、10歳も年齢が違うんだぜ。

 俺だったら、気まずい。周りの目が気になる。絶対だ。

 それなのに、井伊サンは堂々としている。

 今だって、すれ違う生徒からジロジロ見られてるっていうのに、まったく気にしたそぶりがない。

 無視してるわけじゃない。

 注目されているとわかっていて、それでも全部受け止め胸を張る度胸があるんだ。

 すげぇよ。

 マジでかっけえ。

 そんなことができる奴、俺の知り合いの男でもいない。俺だってきっと無理だ。

 俺は井伊サンの後ろを歩きながら、そっと胸元を押さえた。

 やべ。鼓動が止まらない。

 井伊サンの髪、綺麗だな。つむじも可愛い。階段を下りるたびに、ふわりふわりと毛先が動くのが何とも言えない。

 これで8歳も年上だなんて信じられない。ましてや、同じ学校に通ってるなんて。

 俺が小学生のガキだったとき、初めて井伊サンと顔を合わせた衝撃が今も忘れられない。

 内側から溢れるオーラというか、立ち居振る舞いっていうか。あの人の考え方も含めて、ガキだった俺は頭をガツンと殴られたように思ったんだ。

 この世に、こんな女性ひとがいるんだって。

 姉貴から、井伊サンの壮絶な過去の一端を聞いたとき、俺は誓った。

 俺は、この人の力になる。

 井伊サンみたいないい女を裏切った男は許せない。

 クズに狂わされた井伊サンは、俺が救う。救って、井伊サンの苦しみすべてを上書きするのだ。

 独占欲とか、執着心とか、言うなら言え。笑うなら笑え。

 クラスメイト、先輩、後輩、他の学校の生徒――どれだけたくさんの女から言い寄られても、俺の気持ちは動かなかった。

 この世でたったひとり、その人に振り向いてもらえなければ、いくら他の人間から好かれても意味なんてないのだ。

 井伊サン、あんたはどう思ってる?

 俺は、今もまだ、あんたの弟でしかないのか?

 井伊サンの隣に立てる男に、俺はなりたい。

 井伊サンを染められる男に、俺はなりたい。

 俺――久我龍慈は、井伊こよりが好きだ。

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